そぞろ歩き-005 認知症について考えさせらたこと

認知症について考えさせられたこと。

以下、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」2020.070.05 11:47:53 から 

番組エンディングに近い最後のコーナーで、リクエスト曲の西野カナさん「もしも運命の人がいるのなら」が流れる中、今週のテーマである「最近うれしかったこと」のお手紙を安住アナが紹介。

 

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最近うれしかったこと、守谷市の「とらとこやさん」57歳女性の方からです。
中澤「ありがとうございます。」
もうじき109歳になる祖母の話です。
安住「109歳、凄―い。」
100歳を過ぎた頃に、お世話になっている施設で折り紙にはまった祖母は、
生来の前向きな性格と明るさで、廻りの方々に愛されてきた自慢の祖母です。
そんな祖母も105歳のころから急に色々なことを忘れ始めました。
最初は「折り紙の折り方を忘れた。」と嘆いていましたが、遊びに行ったある日、私は祖母から「どちら様ですか?」と聞かれました。
その時の私は、「ついにこの日が来た」という思いでいっぱいになり、どう接っすればよいのかが分からず、早々に施設を去ってしまいました。
安住「つらいねー。」
その後、孫である私を忘れてしまった祖母に、会いに行き続けるか、行くのをやめるか
悩みました。でも、会わないという選択はできず、会いに行き続けました。
しかし、状況が良くなることはなく、徐々に祖母は、私たちが一緒に暮らしたあの時代のことも忘れてしまいました。
そんな祖母の最後に残った記憶は、祖母の故郷の記憶でした。
幼い頃に兄妹と海に行って魚を獲った話を楽しそうに聞かせてくれました。
それは、私にとってチャンスでした。
それからの私は、祖母の大好きな故郷から会いに来た親戚の人間になりきることを決めました。
中澤「う〜ん。」
すると祖母は、「あぁまた来てくれたね。」と言ってくれ、毎回お決まりの故郷の話をしました。
同じ話を何度も聞かされますが、そんなことは私にとって問題ではありません、とても楽しいのです。
ある日施設のスタッフさんから祖母が「今日は私の実家の親戚の娘が会いに来てくれて楽しかった。」と言っていたことを聴きました。
中澤「はいー。」(涙声)
もうこうなったらこっちのものです。
中澤「うーん。」
孫ではなくなってしまいましたが、祖母の友人になれたと思ったからです。
中澤「はい」
しかし祖母は⤴ (声がひっくり返る)
安住「ごめんなさい。」
祖母は友人の私も忘れてしまうかもしれません、でも、大丈夫です。対処法は見付けました。
再び友人としての関係を築き直せばよいのです。
安住「というお便りですね。」
「よかったですね〜。」(涙声)
中澤(感極まっている相槌)
安住「そーねー、やっぱりー、孫としてかな?そうですねー、孫としては忘れられてしまいましたけれど、友達になることができたという話ですねー。」
中澤(感極まっている相槌)
「う゛っー」(嗚咽)
安住「ごめんなさい。」
「私も、あのー」
「う゛っー」(嗚咽)
「祖母が最期、認識してくれなかったんでねー。」
「うれしいなーと思いました。」(涙声)
「すみません、こんなに声がひっくりかえるとは。」
中澤「うーん。」
安住「ちょっとごめんなさい。」
「いいお話ありがとうございました。」
中澤「ありがとうございました。」

我孫子市の夢見る三十路さん35歳女性からのリクエスト
西野カナさんで、「もしも運命の人がいるのなら」お聴きいただきました。
11:55:55


2020年7月5日 日曜日 TBSラジオ:安住紳一郎の日曜天国 

 

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高校の落研時代、ラジオやテレビの寄席を毎回ラジカセで録音。その中から気に入ったのを「速記本」=口演筆録として起こすことが何度かあった。

もちろん手書き。今は、便利な世の中になった。

いい話だったので、ラジコのタイムフリーを聞いて起こしてみた。

尚、句読点や改行は私の独断。

「嗚咽」感情が高まり、涙が出てしまう時に必死に我慢しようとして声が漏れてしまう状態。


沈着冷静の安住アナにしては珍しい出来事。

安住さんと中澤さんを益々好きになる結果にも。

2020年08月21日